『不愉快』な思い。これはわたしにとってちょっと特別なことばです。なぜってこのことばにピンとこなかったから。
それがね、先日ある出来事があって「あぁ不愉快」ってスッと出てきたから自分でもビックリ。
「あぁこういう感じが 不愉快 か」って妙に納得しちゃって、貴重な経験でした。(^o^)
それでその先、どうしたものかと考えたのですが。いろいろ道はあります。
① 不愉快さをもたらした人物に「不愉快だ」と告げる。
これは実はその時の感情にまかせて相手に告げそうになったのですが、
これをして何になる?そしてそれだけのエネルギーを注ぐに値する相手か?
と考え直して止めました。
② 無視する。
相手によってはこれもOKだと思いますが、そうするわけにも行かぬ相手の場合 は何かしらリアクションは必要でしょう。
③ 不愉快になった根本的原因をまずは自分の中に探してみる。
まぁ③番だろうなぁ・・っと思いながら昨夜は眠りに付いたのでした。
具体的にはわたしは、相手の人の、その人らしからぬ 言い訳 や そこに含まれるその人らしからぬ ズルさ 。をとても不愉快に感じたのです。
そして、その人らしからぬ、というのはわたしが勝手に感じた事です。
古くからの知り合いで、この人はこのような人だと わたしが(たぶん)勝手に感じていた事もあるのでしょう。反対に言えば、その人もわたしがそう感じている事を察してそのように振舞っていたかもしれません。どこかの時点からお互いに変わってきていたかもしれません。
ここまでは、すぐにわかりました。
さて問題はその後です。わたしはそのように感じている事を相手に告げ・・・ない事を選ぶと思います。その人にそういうことを告げるのはわたしの役目ではないように感じるからです。不愉快さを率直に告げると「何故?」という疑問形が返ってくるでしょう。そうなれば乗りかかった船で説明しなければなりません。長年の付き合いでそれは無駄な事と感じられるのでという理由もあります。これ以上のかかわりを拒絶ですね。
とても悲しいことです。これからも付き合いはそれなりに続くでしょう。今回の不愉快さもそれとなく相手に伝わるでしょう。でも、以前のような信頼はなく。それを修復する意思は生まれてきません。
自分を許すように人を許しなさい と 神様は仰ったそうですが。
本当の本当の 許し に到達するには 時 が必要な場合が たくさんあります。消してはいけない必要な怒り(イカリ)との区別も要るでしょう。
心の傷 なるモノを まず自分が認めなければなりません。そこがねぇ、まずたいへん(^_^;) 傷ついてなどいるものか!という意地っ張りはちょっと横に置いておいたほうがいいでしょう。
ただ、人間関係における心の傷 なんていうものは 実は思い過ごし な事が多いのではないかと思っています。
何故って もっと突っ込んで考えてみるとそれは 『自分を正しく理解して貰っていない』だとか『こうあるべき や こういう人であるハズorこういう人であって欲しい』などという勝手な思いがベースにある事が(わたしの場合は)多いからです。
それを改善する為の努力をしたか=説明する とか もっと相手を理解する努力をする=まぁ、出来れば話合いをするのがいいのでしょう。が、その努力も出来る時と出来ない時があり、それはその時の状況や、自分の心情や、そして何より相手が存在する限り相手のひとの都合っていうものもあるし・・。
話をしたいと思った相手には単刀直入に話す 時もあります。年々そのエネルギーを注ぐ相手は減ってるように感じますが、大人になったと言うべきか歳取ったと言うべきか(^_^;)。
そのためにエネルギーを注ぐ 時間 を人生の中に作りたいか と考えると分かりやすいかもしれません。
とにかく、それだけ考えてもまだ ハラワタが煮えくり返る なら別ですが、たいていの場合ここまで考えてると、なんだか もういいや~ っと思えてきます。次に行こっ♡っていう感じ。
増長なさるタイプの相手の方にはクギさしといたほうがいいかもしれません。
まぁ手っ取り早く言えば「腹の立つ事があった」というだけの事なのですが。過去の長い信頼の時間がひっくり返る瞬間というのは、あまり何度も経験したくないものです。
騙された と感じた時は しょうがないですね。時と場合により気の済むまでするだけの事はして気が済んだら諦めます。信じて騙されたのは自分ですし、 見抜けなかった または 見抜かなかったのも自分ですもの。
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