汲む
茨木のり子
大人になるというのは
すれからしになることだと
思いこんでいた少女の頃
立ち振る舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
その人は私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちていくゆくのを
隠そうとしても
隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたって
いいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は
少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 やわらかく
外にむかって開かれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです。
1926年生まれの詩人だそうです。
3年B組金八先生で紹介された詩人です。
ドラマ中で紹介されたのは『ぎらりと光るダイヤのような日』という詩(↓に記載)
なのですが、
茨木のり子さんで検索するとこの詩も出てきました。
読んでいてわたしが感じた部分を勝手に色づけしました。
感受性豊かな方のようです。
1926年といえば(大正15年だそうです)
戦争もハッキリと体験されてるだろうし
この感受性を持ちながらの戦争体験は大変だったでしょうと
想像します。
例えば大人になっても誕生日は祝いたい とか、
祝ってあげたい とか、
そういう感受性を 子供っぽい と位置付けるのではなくて、
大人でも、ガラスのような感受性を持ち続けるのは
弱いどころか、かえって心の強さ が必要なのだと
思うのです。
だから、この詩に魅かれました。
次はドラマ中で紹介された詩。
ぎらりと光るダイヤのような日
茨木のり子
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる
それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
本当に生きた日は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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